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     夏のひこうき雲のsummercontrail(略して左近)が書いています。

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2008-03-17

表現の自由といじめの規制 表現の自由といじめの規制 - モヒカンダイアリー「アップル通信」 を含むブックマーク はてなブックマーク - 表現の自由といじめの規制 - モヒカンダイアリー「アップル通信」

 finalventさんの日記のコメント欄

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080316#c

の続き。とくに明示していない引用部分は、realisteさんのコメントの引用です。

summercontrailさんはおそらく分かっていながら分からないふりをしているのだと思われますが、当たり前のこととして、表現の自由には公共の福祉による限界があるわけです。

 ええ、「表現の自由には公共の福祉による限界がある」のは当たり前ですね。既に私が

他人からは愚かだとか有害と評価されうる言論も、あくまで憲法的保障の下にはあり、他の人権(や憲法的価値)との調整の観点から制約を受けるのみと考えるのが伝統的理解では。

 と、かみくだいて書いた通りです。


第一に、犯罪扇動や名誉毀損など、およそ社会生活を営む上では禁止されなければならない表現は制限を受けています。これが自由国家的公共の福祉。次に、社会をよりよくする意味での社会国家的公共の福祉という概念があり、むろん、表現の自由にもあてはまりうることです。

 いえ、それは間違いですよ。お手持ちの憲法の概説書の「公共の福祉」についての該当部分か、せめて公共の福祉 - Wikipediaをきちんと確認してみてください。

 realisteさんは以下のように書かれています。

言論空間をよりよいものにするために国会の論議でさらなる制限を加えるポジティブな規制が社会国家的公共の福祉

個人の尊厳を確保するために表現の自由について社会国家的公共の福祉による制限を加えるという議論は大いにあってよい

 「言論空間をよりよいものにするため」なのか、「個人の尊厳を確保するため」なのか、どちらでしょうか?

 realisteさんは個人の尊厳との関係をずっと強調されているので、個人の尊厳との関係で規制するならそれは「自由国家的公共の福祉」による制約です。それは必要最小限度の制約しか許されません。「個人の尊厳を確保するために表現の自由について社会国家的公共の福祉による制限を加えるという議論」という表現は、それ自体矛盾しています。

 もし、そうでなくて「言論空間をよりよいものにするため」という別の漠然とした公共の利益を新たに登場させたのだとしても、そもそも表現の自由については、社会国家的公共の福祉による制約が許されないとするのが通説だと思いますが。

社会国家的公共の福祉は、実質的公平・政策的制約・積極目的規制ともいわれ、

形式的公平に伴う弊害を除去し、人々の「社会・経済水準の向上」を図るという観点での公平 と解するのが通説である。例えば、弱者保護や社会経済全体の調和ある発展のための規制である。

社会国家的公共の福祉は、経済的自由権と社会権に妥当する とする説や、経済的自由権にのみ妥当する とする説が有力である。積極目的規制は形式的公平を害するおそれがあるから限定的でなければならないからである。

公共の福祉 - Wikipedia

 それに、どんな言論が社会にとって「よりよい」のかについては、ドイツなどと違って日本の現行憲法は抑制的だと思いますが。だからこそ、政府は人種差別撤廃条約の批准にあたって一部留保したわけです。

人種差別撤廃条約のQ&A

Q6 日本はこの条約の締結に当たって第4条(a)及び(b)に留保を付してますが、その理由はなぜですか。

A6 第4条(a)及び(b)は、「人種的優越又は憎悪に基づくあらゆる思想の流布」、「人種差別の扇動」等につき、処罰立法措置をとることを義務づけるものです。

 これらは、様々な場面における様々な態様の行為を含む非常に広い概念ですので、そのすべてを刑罰法規をもって規制することについては、憲法の保障する集会、結社、表現の自由等を不当に制約することにならないか、文明評論、政治評論等の正当な言論を不当に萎縮させることにならないか、また、これらの概念を刑罰法規の構成要件として用いることについては、刑罰の対象となる行為とそうでないものとの境界がはっきりせず、罪刑法定主義に反することにならないかなどについて極めて慎重に検討する必要があります。我が国では、現行法上、名誉毀損や侮諮J*1等具体的な法益侵害又はその侵害の危険性のある行為は、処罰の対象になっていますが、この条約第4条の定める処罰立法義務を不足なく履行することは以上の諸点等に照らし、憲法上の問題を生じるおそれがあります。このため、我が国としては憲法と抵触しない限度において、第4条の義務を履行する旨留保を付することにしたものです。

 なお、この規定に関しては、1996年6月現在、日本のほか、米国及びスイスが留保を付しており、英国、フランス等が解釈宣言を行っています。

Q&A


 realisteさんはこうもおっしゃっています。

そして、「消費扇動」とか「階級格差」や「受験競争によって生じる」「ガス抜き」といった主観的なものはおいといて(これらを法内在的とおっしゃっていますが、このような理由を憲法解釈論や立法論に公式に持ち込めるとは思えず、所詮政治経済的パラダイムの範疇でしかないと思います)

 「消費扇動」とか「受験競争」といった概念はそれまで誰も持ち出していないので、カギ括弧付きで引用のように用いてこれらを法内在的とおっしゃっていますがと言われても困ります。

 私が頭の体操として挙げた主張の根拠である、ある特定の状況においては、社会階級の分離状態の維持により社会の安定を図れば、殺人等のより重大な人権侵害の件数を少なく維持できるというのは、政治的経済的パラダイムではなく、あえて言えば社会学的考察*2にあたるでしょう。

 そして、憲法解釈論における立法事実の検討の際、社会学的考察を除外するということは不可能です。仮に除外が可能だとしても、法律の合憲性を支える合理性や目的との実質的関連性の検討、あるいは緻密な比較衡量を放棄することとなり、憲法解釈論や立法論はその基礎を失うことになります。

 なお、「立法事実」というのは技術的なジャーゴンです、念のため。

訴訟手続では、争点となる事実関係の有無につき当事者による主張立証がされ、それを下に裁判所は事実認定をし、認定された事実について法を適用して判決をする(ここでいう事実を司法事実又は判決事実という。)。憲法訴訟でも、以上のような事実の有無の審理がされることは変わりがない。しかし、憲法訴訟においては、以上のような具体的・個別的な事実のほか、適用される法令の制定の基礎を形成し、かつその合理性を支える社会状況などの一般的事実の存否を調べることが重要になる。このような事実を立法事実という。

アメリカ合衆国においては、女性労働者の労働時間を1日10時間に制約する法律の合憲性が争われた訴訟において、ブランダイス弁護士が、法律論についてはわずか2頁しか充てず、残りの約100頁を長時間労働が女性の健康に与える悪影響について医学的な論証や統計資料により構成する上告趣意書を提出したことを切っ掛けに、立法事実を重視するようになった。

これに対し、日本においては、いわゆる薬事法距離制限条項違憲判決で、当時、薬局開設に関して距離制限を定めていた薬事法の規定が違憲であるか否かにつき、上告人・被上告人ともに立法事実論を展開し、それに対し、最高裁も判決の理由中で立法事実につき詳細な論述を展開したものとして注目された(最大判昭和50年4月30日民集29巻4号572頁)。

憲法訴訟 - Wikipedia

 realisteさんの、いじめや差別を憎む問題意識は私も共有しています。憲法上の価値が十分に尊重されていないといういらだちは私も持っています。ただ、「では、自分を何をすべきか」ということが重要なのです。自分が「法律を制定できる立場」にいることを夢想して強権的な立法を思い描いたりというのは解決になりません。それに表現の自由の制約はそれ自体が重大な人権侵害になりかねません。だから、

現実の状況にどう対応するかを、各種ファクターを考慮に入れて、賢く(economicに≒合理的に、実用的に)行動しなくてはいけないのです、個人レベルでも立法レベルでも。

 と書いたのです。辛抱強く事態の改善への努力を続けていきましょう。

*1:「侮辱」の誤植のようです

*2:これは心理学上の実験や統計といった客観的なデータによってある程度実証可能なものです

realisterealiste2008/03/17 14:56いかにもおかしいですね。たとえば経済権については社会国家的公共の福祉により、独禁法や金融法などが制定され、悪質な経済活動を制限することで、健全で民主的な経済の実現を図ろうとしています。いみじくも思想の自由市場という概念があるように、これと同じ考え方を表現権に及ぼしてもなんらおかしくはありません。すなわち、言論といってもすべて容認するわけではなく、社会信義に反するような悪質な言論は封殺することで、公共言論をよりよいものにするということは十分可能です。これをしないからこそ2ちゃんねるのようなみるもおぞましく何ら有益な結論に至らない表現や言論が放置されているのでしょう。これは経済社会においてはカルテルやインサイダー取引が放置された結果、不健康な経済社会ができあがるのと同じ仕組みです。カルテルやインサイダー取引を取り締まるのと同じように、悪質な言論を取り締まることは可能だし、その分界はきちんと議論すれば大体一意に定まります。どこまで取り締まればいいのか分からないといったような反論は言い訳であって逃げです。

realisterealiste2008/03/17 15:03また、経済と同じく、言論についても「よりよいものにしていく」という発想は存在するのであり、社会国家的公共の福祉が精神権には当てはまらないというのはいかにも不自然な話です。なぜ経済界の不健全は修正して精神界の不健全は修正しないのでしょうか。
経済界でも健全な経済という観念が存在しているように、精神界にも健全な精神なり言論という観念が存在しており、それはたとえば実名で上梓されているような健全な各種書籍、究極的には学校の教科書になるでしょう。これに対してネットの匿名言論わけても匿名掲示板や学校裏サイトの言論は不健全きわまりなく、経済で言うならインサイダー取引やカルテルのごとき社会病理的現象です。これを、経済法と同じ考え方で制限し、よりよい言論を実現するという考え方がないはずがない。

realisterealiste2008/03/18 10:03>分界はきちんと議論すれば大体一意に定まります
というのは、たとえば、表現の萎縮がどうのこうのというなら、経済だって取り締まっている時点で萎縮が生じているはずです。なぜなら「こんな経済活動をすると公取委に注意を受けるかもしれないから怖くてできない」という心理が働くからです。また、経済権よりも精神権を重く見る(二重基準論)なんてのもなんの決定的根拠もない学説にすぎませんし、その学説が言う理由をあいまいで不明です。
個人的には、どうしても言論の自由を最大限に認める政治経済的要請があり、それを実現するために、法の平面において、無理な理由付けで表現の自由に制限をかけない解釈が「政治的に」なされているとしか思えません。

summercontrailsummercontrail2008/03/18 21:07realisteさん、こんばんは。お返事するまでに1、2週間置きますので、その間に私の記事を読み直して、ご自分のコメントを削除したり、加筆して再投稿してくださってかまいません。

summercontrailsummercontrail2008/03/30 17:47realisteさんのコメントに、
http://mohican.g.hatena.ne.jp/summercontrail/20080330/realiste2
 でお返事しました。

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