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2007-01-13

ゴーヤの問題。 ゴーヤの問題。 - モヒカンダイアリー「アップル通信」 を含むブックマーク はてなブックマーク - ゴーヤの問題。 - モヒカンダイアリー「アップル通信」


 1

 おれはおまえのパパじゃない - 仰げば尊しのはてなブックマークはてなブックマーク - おれはおまえのパパじゃない - 仰げば尊しにある、id:mutronixさんのコメント

エントリの向こうに人格があるのかないのか、というか、合意の問題。「人格なんてない! なぜならインターネットとはムニャムニャ」と言う人を「はいはい」と宥めておくスキルっていうか。

はてなブックマーク - おれはおまえのパパじゃない - 仰げば尊し mutronixさんコメント

 が面白かった。

 ソーシャルなお遊戯として、

〈スルー力の問題。嫌いな意見を実在しないほど過激なものに仕立て上げたうえでそれを「はいはい」と宥めるスキルをアピールすることで自分の方が人間的に成熟していると誇りたがる人を、見逃してあげる愛しさと切なさと心強さっていうか。〉

 と軽くDISってみる。ニュアンスとしてはモヒカン族 - モヒカンダイアリー「アップル通信」 - ティシュる

 あと、mutronixさんが合意の問題とする意味がよく分からないのだけれど、すぐ次の文とのつながりからして

最適化の放棄
例え非効率であっても、揉め事が起きない方法が一番ハッピーです。

モヒカン族 - ムラ社会宣言

 ということなんだろうか。


 2

 もとの記事であるおれはおまえのパパじゃない - 仰げば尊しについては、

「発言者のバックボーンに目を向けるな。発言それ自体の意味だけを問え」だとか、「顕名であるか匿名であるかは重要ではない。重要なのはその内容だ」という言葉が空虚であり、嘘っぱちであり、バックボーンを隠したい匿名者自身によるプロパガンダだったのでは?

おれはおまえのパパじゃない - 仰げば尊し

 という言葉の真偽・当否を、「4」で挙げる関連記事などから、読者の方々がご自分で考えてみてください。

 私はテラヤマアニさんの言葉自体がたとえば〈空虚であり、嘘っぱちであり、バックボーンを隠したい匿名者への攻撃のためのプロパガンダ〉とまでは思わないけど、手法としてはうまいなあと思う。

 あと、俺と全く逆のことを学び取った人がたくさんいるというか、むしろ多数派かもしれないと思うとものすごく不思議*という発想も含め、テラヤマアニさんはムラビトとして一貫しているなあと思った*1

 少なくとも

どっちの言い分がより正しいのかということを云々しても仕方ないので、事実がどうかという問題はうっちゃって、これをきっかけに考えたことだけ言いますけど、どうしようもなく無礼な人間というものにどうやって対処したらいいかということが問題で、紳助さんの場合は封建的な日本的な説教文化を背景にガツーンとかましてみたら、相手が帰国子女でアメリカナイズされてて権利の主張とかがすごい人で、それが全然通用しなくて頭に血が昇って暴行しちゃったということなのかなと想像した。印象としてはこういう無礼人は確実に増えてる気がする。

電車内でタバコを吸ってるバカに注意したら逆ギレされて刺されたとか理不尽がまかり通る世の中なので、マジ、こういう輩への対処法は重要だと思う。おれはおまえのパパじゃない [TV

 と書いている頃から一貫していて、それはそれでたぶん敬意に値することなんだろうと思う(確信はない)。はてなブックマークにコメントとしてさすがムラビト*と書いたのは、そのあいまいな敬意をも含んだ感想。

 もちろん、私はここでテラヤマアニさんという発言主体に着目してみたわけだし、まあ元々が程度問題の話。それでも自分の中でのバイアスは最小限にとどめておきたい、発言者がどういう人かということはメインテーマではなく、せいぜい発言の意味内容を把握したり、発言の意図や実際の効果を吟味する際の判断材料にとどめたいと思っている。テラヤマアニさんやmutronixさんも、そういう判断材料になると言いたいだけなのかもしれないが。


 3

 「2」の後の方で書いたことをもう少し詳しく。

 私の考えとしては、エントリの向こうには常に人格が存在する、たとえ検索エンジン対策や宣伝目的で機械的に生成された無数のエントリであっても。ただ、人格そのものは評価の対象としないでおき、まずは言説それ自体に着目する、というのはまあ謙虚で理にかなった方法だと思う。


 たとえばAさんが「1 + 1 = 2」と言った場合には、「1 + 1 」が「2」であるかどうかを主に検討する。この発言は〈ここでいう「1」は、足し合わせるという操作が可能な概念である〉ということを前提にしているから、誰が言ったのであれ「1 + 1 = 2」は正しい。

 「1 + 1 = 2」という命題の真偽と、〈Aさんが主観的にはどのような意図でそう言ったか〉ということや〈当面の話題との関係でAさんの「1 + 1 = 2」という発言が客観的にどういう効果を発揮するか〉は、また別の話。

 まして、〈「1 + 1 = 2」と言ったAさんはどういう人間か〉というのはさらに別の話。


 では発言者の属性が前面に浮かび上がらざるを得ないのはどういう場合かというと、発言内容の真偽や当否を検証することが困難な場合なのだろう。

 その場合、〈factの認識において、自分の中にありうるバイアスに対して、どこまで自覚的であり、バイアスをどこまで避けようとしているか〉〈認識した事柄の伝達において、認識内容を、どこまで忠実に再現しようとしているか〉についての、その人の過去の姿勢は、発言内容の真偽を考える際の重要な判断材料となる。

 また、〈ある事実からの推論において、推論過程に誤りがありうることに対して、どこまで自覚的であり、それを避けようとしているか〉〈自分の推論の積み上げの過程をどこまでチェックしているか〉についての、その人の過去の姿勢は、発言内容の当否を考える際の重要な判断材料となる。

 さらに、〈これまで、自分が事実と異なることを発言したことに気づいたときや、自分の推論の誤りに気づいたときに、どのように振る舞ったか〉という点も、発言内容の真偽・当否を考える際の重要な判断材料となる。


 抽象概念としてのモヒカン族も、そのこと(つまり、発言内容の真偽や当否を検証することが困難な場合に、発言者の過去の姿勢が重要な判断材料になるということ)自体を否定しているわけではないだろうと思う。そもそも発言者の社会的地位を気にせず、言説だけに注目するモヒカン族 - モヒカン宣言という宣言の注にも

利害関係者が立場を隠してこの思想を悪用することは別の問題として考える

モヒカン族 - モヒカン宣言

 と明記してあるわけだし。

 ただ、人格主体そのものを評価の対象として正面からとりあげることの危険性に対して強く警戒しているので、言及の対象を責任が持てる範囲だけに限定しようとするのだろう。


 4 関連記事

私は誰か人間の根本的なところとか核心を突くというような姿勢に対してはかなり自戒している。

 そもそも誰かを完全に理解することなど人間には不可能だし、何か理解したように思ってもそれをことさらに「あの人はこういう人だ」とわかったようなことを言って断罪するのはまったく傲慢で不当なことだからだ。

 だから、人間そのものに対してどうだとは言わないようにしている。感謝や尊敬の念が抑えられないときには、「すごく優しい人だ」とか「あの人を尊敬している」と思ったり言ったりはすることがあるが、逆の方向つまり否定的な断定はできるだけ避けたいと思っている。

モヒカン族 - モヒカンダイアリー「アップル通信」 - 「コスト意識だけで「常識」を選択してもよいが……(補遺)」を読ませていただいて

(強調部分も原文のまま)


誰か他の人に対して「救いようがない」などと言う人は(どなたにどういうタイミングで言われたのか知りませんが)、おそらく人間の可塑性や議論・対話の価値を(そう言ってしまった時点で)相当低く見積もっているのだろうと思います。そのような姿勢は、自分自身が対話によって考えを深める可能性をもほとんど無くしてしまうことになるし、自分をも断罪してしまうことになる*1(ただ、私はそのような姿勢に陥ってしまっている人すらも"開かれていく"可能性があると思っているし、断罪してしまいたくないと思っているけれど)ので、残念ではあります。

モヒカン族 - モヒカンダイアリー「アップル通信」 - 「コスト意識だけで「常識」を選択してもよいが……(補遺)」を読ませていただいて

(注の*1については今回引用の都合上、括弧を使って直後に載せた)


 以前から思っているのだけれど、ものごとを考えるときには、誰か実際の人との対話でないと、単なる極端な仮想敵とのシャドーボクシングになってしまう。

 すると、それと比べて自分の主張がいかにも穏当であるかのようにアピールするという罠にはまりやすい。モヒカン族 - モヒカンダイアリー「アップル通信」 - ポジ・ネガと多数派・少数派の構図を重ね合わせることの危険性

〈相手方の主張を極端な主張に見せかけ、矮小化しておとしめることで、それと対立する自分の主張が穏当なものであるかのように装う〉というテクニックは、たいへん有効ですが、だからこそその誘惑にはぜひ打ち克ちたいものだと自戒します。

モヒカン族 - モヒカンダイアリー「アップル通信」 - 女性専用車両についての話題、補足します


相手のコミュニケーションスキルの程度を最初からあまり低く見積もるのは決して優しさではなく、むしろ相手への侮蔑でしょうね……

モヒカン族 - モヒカンダイアリー「アップル通信」 - メタモヒカンと地べたと対話


ムラ社会的思考からくる解決法は、たぶん、正面から不快感は伝えずに、自分の感じた激しい不快感がそれとなく相手に伝わるような言動や、自分の不快感を陰で示す行動*3(ほうきを逆さにたてておくとか)を行い続けるということになると思う。(直接伝えられない分、不快感は余計に激しくなっている。)

 「正面から不快感を伝えるのは相手の気持ちを考えない行動だ」という理由によるのだろうけど、その遠回しな行動は実際には相手の気持ちをたいへん傷つける行動だと思う。

モヒカン族 - モヒカンダイアリー「アップル通信」 - 人の気持ちを考えろ

(注の*3については今回引用の都合上、括弧を使って直後に載せた)


差異
お互いの違いを確認することで、我々はつながります。「自分らにとって良いから他の人にも良いはずだ」とは思いません。

モヒカン族 - モヒカン宣言

*1:なお、違う価値観に立つ人の存在が許容できる人ならば、違う価値観も同一平面上にありうるわけだから、私がテラヤマアニさんのことをムラビトと呼んだからといって、イコール馬鹿にしたということにはならないとおわかりになると思います。

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