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     夏のひこうき雲のsummercontrail(略して左近)が書いています。

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2005-12-11

はてな」ユーザからの提案の扱い/現状・「空気」に否を発するやり方とハードル 「はてな」ユーザからの提案の扱い/現状・「空気」に否を発するやり方とハードル - モヒカンダイアリー「アップル通信」 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「はてな」ユーザからの提案の扱い/現状・「空気」に否を発するやり方とハードル - モヒカンダイアリー「アップル通信」


香雪ジャーナル - はてなとWebアクセシビリティとモチベーションを読んで浮雲(私のはてなブックマーク)にクリップした。その際

[hatena][dailylife][アクセス可能性・容易][要再読][日本教]"ユーザに怒られるから""ユーザにいろいろ言われるから"←"あのおばさんに怒られるからやめましょうね"と子供を叱る母親みたいな/他の権威や外部的評価低下の恐れを持ち出さないと現状に否を発せない卑怯さ

*

 とコメントを書いた。

 その少し後にもう少し思いついたので、ここに書きとめておきます。話題的にはこの「モヒカン族」というはてなグループかな。


 他人に怒りをぶつけられるから、「波風立てない」ために、また「不愉快な気持ちにならない」ために、子供に「~という言動は慎みなさい」と諭す親の言動はけっこうちまたでよく見聞きする。

 (ちなみにわかりやすい例としては母親が周囲から注意され、それをきっかけに「ほら、あのおじさん(おばさん)に怒られちゃったでしょ!」と子供に怒りをつぶける例が多いという印象を個人的に持っているが、と書いてしまった時点で既にモヒカン宣言にいう外道*に堕ちかけてるが、父親も「おまえのせいで俺のメンツがつぶれただろうが!」という怒りを内にこもらせることが多いだろうことは社会におけるこれまでの観測結果において充分納得できる、と書いたことでまあお許しくださいませ。)

 話を戻して、ではなぜ他の権威や外部的評価低下の恐れを持ち出さないと現状に否を発せないあるいは否を発さないのだろうか。

 ひとつ考えられるのは(この後が先ほど思いついたことなんだけど)、そもそも何か現状あるいは空気に対して否を発するということ自体が強く忌避されるべき態度と思われているからではないだろうか。

 仏教というかこれはもう日本教の内容ということになると思うけど、なんでも自然が一番、あるがままが素晴らしい、という発想からは「ありえない」というのが強烈な非難としても働く*1。そういう世界観。

 この世のすべてをあるがままに受け入れることが大人の態度、みたいな。私の理解では仏教がまさにそういう思想*2

 たとえば「はてな」の現状、「空気」は、簡単に言えば「イノベーション万歳!打倒google!地道な改善やバグ取りはユーザに委ねるという素敵なシステムに任せて(そのシステムを開発したのもすごいでしょ☆ボクらって天才♪)、ボクたちはめくるめく未来へ向かって夢の飛翔、今、現在進行形!!」といった感じ(超偏見私見)。

 そういう状況の会社で、社内の「空気」と違う方向の事柄を発言するとなると、「ユーザ様から文句言われちゃうから」という形をとらざるを得ないのもまあ納得できる。空気に逆らうときに「自分の考えとしてこう思う」と言うのは荷が重いし。自分の中で理を立て、その自分の考えと言動に責任を負うという態度が「自分勝手」「ひとりよがり」「自分の考えを他人におしつける」ものとして忌み嫌われるということも理由。

 だから(この記事の初めの方に戻るけど)子供を叱るときも、他の人を理由にすることが一番スマートな方法になるし、「あのおじさん/おばさんの怒りが正しいか理不尽かなんてことはまったくどうでもよくて、〈こんなことをすると他人に怒りをぶつけられる〉というそのような現実の中で生きているのだから、あなたもそのような現実に上手に適応しなさい」というたいへん賢明な処世法を伝授していることになる。

 はてな社内においても、ユーザが指摘している内容そのものより「ユーザにあれこれまた指摘されちゃうから」という趣旨の発言があるということなら、それは上述の子供を叱る親の例と同じ発想かなと。


 言わずもがなだけど、そんな風に「ユーザにどうこう言われちゃうからこういうことはしないようにしよう/ここは変えないといけないな」などという発言は、せっかく勇気を持ってムラ社会規範を踏み越え親切にも(苦言に聞こえてしまうような内容なのにわざわざ)忠告してくれた方たちを「小言ユーザ」扱いして、気持ちをひどく逆撫でする、とても心ない行為だと思います。私は「はてな」のサービスをふだん愛用させていただいていますし感謝していますが、はてなの中にそういう空気があると知ってたいへん悲しく思います。これからも気持ちのわだかまりなく楽しく使わせていただきたいですし、スタッフや会社のことだけではなく利用者みんなの気持ちも考えた思いやりのある運営をしてくださったらなあと願っています。きっとその方が「はてな」のためにもなるのに。これからも「はてな」のこと、応援しています。

 と今ムラ社会的タームを使って書いてみましたが(内容に嘘はありません)、モヒカン風味を織り交ぜて書くとしても、「はてな」のシステムを機能させていくためには、公に「否」を発してくれるユーザの存在が(掛け値なしに)不可欠なので、そうした貴重なユーザを軽視することは誰もハッピーにしないアティチュードといわざるを得ません。

 もう少しモヒカン的に踏み込んで書いてしまうなら、そうしたネガティブな意見も届けてくれるユーザと、ネガティブな意見だということで軽視し続けるスタッフをきちんと天秤にかけるべきです。「社内教育」によってスタッフの考え方が変わらないのなら、どちらかのアクターの存在をあきらめなければいけないのでは*3

 付け加えておきますが、はてなスタッフのうちどなたがユーザに怒られるから「こちら」は使わないようにしないといけないとかユーザにいろいろ言われるから三角形のナビゲーションをどうするかという趣旨の発言をされたかは私は知りませんし、知ろうとも思いません。


 ここからはだいぶ話がずれます。「日本人はイエスマンだ」「話しているとにこにこして絶えず同意を示し続けてくれる(が、いざたずねてみると考えは全然違うまま)」みたいなのも関連するっぽい。何と関連するかというと、はてしない現状や「空気」の肯定の傾向と。

 〈相手の気持ちを傷つけてはいけない〉〈違う考えの人もいていいし、正しさなどというものは一つではない〉〈何か・誰かに対してNoと言うのはいけないことだ〉そのほかいくつかのテーゼからの解として、上に書いたような(「タテマエ」上相手に同意し続けるという)イエスマン的態度がみちびかれるんじゃないかな。

 (ここから話が脱線するけど、たとえば交渉ごとではそれぞれ違う考えかもしれないままうなずき合っていても交渉が成り立たないから、その態度ではうまくいかない。だから相手の腹を探り、「気持ちを尊重し合う」ためのプロセスとしてカギカッコ付きの「話し合い」「ふれあい」が最重要視されるということかな。こう考えれば、真摯な対話を敵視し棲み分けを促進するムラ社会においても「話し合い」が奨励されることの説明がつくなあ。脱線終わり)

 また話を戻して、そうした日本のムラ社会における強い現状肯定の傾向の歴史的要因について分析を加えたものとして、『社会科学における人間』からちょっと以前抜き書きしていたところを部分的に引用してみます。あんまり関係ないけどちょっとは関係あると思う。

 儒教的エートスが生まれてくるさいに、その最初の担い手となり、そして、のちのちまでもその担い手であり続けたのは、周知のように、マンダリンとか、士大夫とよばれるような旧中国の家産制官僚だったのですが、(中略)彼らは、最高級の知識を身につけた家産制官僚として一般の無知な民衆を統治する、そうした統治者身分だったのです。(中略)そうした共同体の伝統主義的な生活秩序には、さまざまな呪術がまとわりついていて、あたかも「呪術の園」といったような姿を呈していました。そして、もしもそうした伝統的な生活の秩序を少しでも動かすようなことをすると、民衆は神々や精霊のたたりを恐れて、たちまち動揺し、そのためにかえって社会の秩序が乱されてしまうことになる。(中略)

 「呪術の園」の中にあって、なおも氏族制的な色彩の濃い「共同体」的集団の自治を続けようとしている民衆を、儒教徒である家産制官僚たちは、道教ないし仏教系統の俗間宗教にゆだねてしまって、二重宗教というような状態を作り出し、自分たちは高みから統制していこうとする。こうした共鳴関係からは、当然に、伝統主義的な生活態度の維持が重要な意味を持つようになり、その結果、儒家たちに由来する合理主義も、究極のところで伝統主義、つまり伝統的な共同体的生活様式の無条件的存続という方向に向かっての合理化という性質をおびることになる

 引用中の強調は引用者が付しました。ページ数などは必要を感じたら追記します。

*1:同時に、そのような言動を見聞きしてしまった自分の記憶の否認としても機能する。「信じられない」「あってはいけないこと」という決まり文句もそれですね。自分の中の秩序体系としての〈現実〉にそぐわないという認識の表明をすることで、「自分が〈自然〉と見なしているのはもっと清い世界だ」という弁明になる

*2:念のため書いておきますが、仏教徒にも色々いますし、面識ある方でもネットで知っている中でも、仏教信仰していてしかも人間的に尊敬できる方を何人も存じ上げています。単純に「仏教憎し」だとか「坊主憎けりゃ……」という発想は持っていません。こういう注は本来は必要ないと思うのですが、誤解を避けるために一応書いておきます

*3:「モヒカン的に」と書いた割りにはちょっとあざといレトリックを使ってしまいましたが、私が伝えたいのは、スタッフのどなたかを辞めさせろという要望ではなく、「はてなスタッフの皆さんにこの問題を本気で考え直してほしい」ということです。

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