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2005-11-19

謝罪メソッドや道徳はモヒカン族においてどのように存在しうるか 謝罪メソッドや道徳はモヒカン族においてどのように存在しうるか - モヒカンダイアリー「アップル通信」 を含むブックマーク はてなブックマーク - 謝罪メソッドや道徳はモヒカン族においてどのように存在しうるか - モヒカンダイアリー「アップル通信」


 タイトルは大仰ですが軽いメモ書き。

 ムラ社会の謝罪メソッドについては前に書いた(後で自分記事へリンク参照:ムラ社会における「謝罪」メソッド、他人が決定する「ホンネ」)。読んでもらってわかるとおり、私は謝罪をする人に対して批判的なわけではありません。

 あと、ムラ社会では自分の判断基準として「どう見られるか」が重要な要素となるということも、いろんな表現で書いてきた。外面的な評価とか。タテマエとか。罪の文化と恥の文化という分け方で言えば恥の文化。(ここでは価値判断を含めずにただニュートラルな意味に読んでください。この段落もムラ社会をさげすんで書いているわけではありません)


 で、じゃあモヒカン族において謝るとはどういうことかとか、モヒカン族の判断基準はという話なんだけどそろそろ時間切れ。

 自らの(過去の)判断そのものを事後的に相対化し捉え直すことによって、みたいな話と、あと内的な倫理の話という予定なんだけど、これだけ書いても全然あれですね。

 あとで「気が向いたら」補足しますと書こうと思ってたんだけど、これじゃやっぱり足りないので、あとでちょっと補足します。ちょっとだけヨ

→以下、あとでちょっと補足

 モヒカン族が行う「謝罪」というのは、

  • 自分が意図していたのと別の価値・利益を侵害してしまった、あるいは予想以上にある価値・利益を侵害してしまった
  • そのようなことは行うべきでなかったと今判断していることの表明
  • その価値・利益が失われたことを残念に思う"I miss it"

 というようなことだと思う。

 あえてこのような内容が外部に対して表明されることには、以下のような意義がある。

  • 自分という価値判断の主体が一定のプロセスをたどってある判断にたどりついたことを示すことで、他の人が考える手がかりとする
  • しかも、他ならぬ自分が行ったことについての否定的評価であることから、その(過去の行為についての)評価は一定の信頼性を持つであろうと類型的にバイアスをかけてよい。
  • つまり他の人が当否・是非の判断を行うに当たって大いに参考となる資料を提供するという価値を持つ。

 このモヒカン族キーワードの解説的に、ユーモアを込めてややうがった見方をするなら、

  • 自分の過去の言動・判断について「謙虚」に振り返り、必要に応じて「あれはよくなかった」と判断できると示すことで、自分のあくなき向上心とフェアなものの見方を持っていることをアピールでき、自分の言説の説得力を増加させることができる

 という意義もある。

 ただ心情的にはモヒカン族寄りな私としては、「あまりそうした〈他の人からどう見えるか〉という視点に偏ってうがった見方をすると、ついには誠実そうに見える態度は一切とれなくなってしまい、露悪的・偽悪的な言動しかとれなくなる」ということをいちおう書き添えておきたい。


 話が長くなったのと、どうつながるか忘れちゃったので、後段はコンパクトに書いとく。

 モヒカン族におけるルールは、どこかお上とか外から押しつけられる形式張ったマナーとか、人の気持ちを傷つけないように見える作法とかではないだろう。

 だが、技術至上主義者として認識されがちなモヒカン族にも、一定の行動規範はあるはず。でなければ単なるベタな無法地帯になる。

 言い換えればモヒカン族といえども単に「W3Cでこう決まっているから」と形式を押しつけるのではなく、その背後には根本的な行動原理があって、それは感情とか生理的な衝動とは一応切り離されて存在しているはず。

 それつまり根本的な行動原理というのは、(ことさらにムラビトと対比して描写するなら)〈「私はどうするべきか」という問題を、種々の考慮すべき利益・価値を考慮に入れそれぞれに重み付けをしながら、一定の解を導きそれを実現させようとする心の動き〉と一応言えそうな気がする。

 で、その際重み付けの仕方にはいろいろな仕方が存在しうるわけで、その重み付けの仕方を価値観とか世界観とか呼べるんじゃないか。

 で、〈一定の解を導きそれを実現させようとする心の動き〉は、メモの冒頭に戻るけど、外見的な「道徳」に対して内的な「倫理」と呼べるんじゃないかという感じがする。

 「こんなことしたら自分はどう思われるか」とか「よく思われるためにはどうしたらいいか」でなく、「自分には何が出来るか」とか「自分はどうするべきか」みたいな。

 すんごいラフな話だし、話が行ったり来たりだから途中の論理の運びには粗があると思うけど、そんな感じ。

 話の主旨は書いてる本人すらよくわかってないので、断片的に何か「ふーん」と思ってもらえればそれで充分です。


 例によってあんまり短くならなかった。。。

 似たような話をまた書きそう。

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