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2005-10-21

「よけいな裏読み」を誘発する行為 「よけいな裏読み」を誘発する行為 - モヒカンダイアリー「アップル通信」 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「よけいな裏読み」を誘発する行為 - モヒカンダイアリー「アップル通信」


 このモヒカン族グループの基本キーワードモヒカン宣言」に、

よけいな裏読みをして「人格攻撃している」とは思いません

*

 というくだりがある。


 これを悪用しようと思えば簡単だ。慇懃無礼な言い回しで、言葉を向ける相手を痛烈に皮肉ればよい。


 皮肉を向けられた相手は、「それは皮肉ですか?」と問い返すことがたいへん困難だ。なぜなら、そのように問い返すと実際に皮肉だったかどうかとは別に「あなたは“よけいな裏読み”をしています。そんな風に曲解しないでください」という返答をされてしまうことが十分に予想されるからだ。

 その結果、慇懃無礼な言葉を向けられた人は(自分が言われたのは痛烈な皮肉かもしれない)(あの人は私にひどい悪意を抱いたのかもしれない)という不安と怒りを抱えながら、自分も表面上は丁寧な言葉を返すしかなくなる。

 そして実際には、裏読みを過剰に行いながらも、それを決して表に出さないという複雑で高度なやりとりが行われる。


 まさに上記のようなプロセスによって、ムラ社会的な表と裏の分離、心にもない言葉の応酬というスタイルが蔓延する。


 同じプロセスを別の表現で書いてみる。真のモヒカン族であっても〈自分に向けられた丁寧な言葉は、じつは嫌味や皮肉という強烈な悪意の発露だった〉と後にわかると、丁寧な言葉を素直に受け取れなくなる。

 また、丁寧な言葉ですら悪意の表れと受け取られる危険性を強く認識するようになると、丁寧な言葉すらめったに発しなくなる。

 こうしてモヒカン族のトサカが失われる。「よけいな裏読み」ばかりして過剰に相手の気持ちを忖度し、滅多に意見を言わないムラビトが新たにここに誕生する。


 こうしたスタイルによって一番害を被るのは誰か。丁寧な言葉を嘘偽り無く心から発している人たちだ。


 上のような「悪用」のせいで、何の裏もなく素直に発された丁寧な言葉がややもすると嫌味や皮肉に聞こえてしまう。かといって「嫌味や皮肉ではありません」とわざわざ注釈をつけると、自分の言葉が嫌味や皮肉である可能性について相手に伝えることになる。その結果、「よけいな裏読み」をしていなかった相手を「えっ?」とたじろがせることになってしまう。それに、くどくなる。

 その結果、丁寧な、親身になった、優しげに聞こえる言葉を発することに非常に嫌気が差してくる。


 なんか話が広がりそうなので、読みづらさを避けるためここでこの記事は中断します。以下、考えをメモ程度に書き残しておきます。


 結局、〈自分の気持ちに嘘のない言葉を選ぶ。同時に、汚い言葉や醜い言葉を用いることによって自分の気持ちを汚くしたり醜くしたりすることのないよう留意する〉ということが重要だと思う。(参照:[彼方より][Web][雑記] 井原西鶴じゃないけど

 だが、言葉に誠実な人が増えれば増えるほど、〈その姿勢を表面上だけ真似て痛烈な皮肉や嫌味をいう〉という戦略がますます有効になってくる。経済学的な意味ではないがフリーライダー的振る舞いのメリットが増大する。最近脚光を浴びているゲーム理論囚人のジレンマにも類似(話飛ぶけど、相手が自分を裏切らない蓋然性が高まれば、自分が相手を裏切るメリットが増える)


 ……途中で夕食を食べて書くのを中断していたら続きを忘れました。あ、そうだ。フリーライダーの踏み台にされても、「よけいな裏読み」をされ誤解による怒りをかったとしても、あるいは裏読みを強要されてひどく慎重にならざるを得なくなったとしても、当の具体的な相手に対しては……やっぱよくわからん、というか、抽象的な価値や理念の話は変に情緒的に読まれてしまいがちなため、できれば避けておきたいのでやめておきます。


 対話の在り方、言葉を発するときの姿勢についてはモヒカン族 - モヒカンダイアリー「アップル通信」 - メタモヒカンと地べたと対話のほか、[レビュー]三浦綾子『塩狩峠』で以前書きました。興味がおありの方はそちらも併せてお読みください。


 「読みづらさを避けるためここでこの記事は中断します」とかいって全然中断にならなかったな、長文を書くだけ書いておいてエントリがごにょごにょっと終わってしまうのも自分の文の持ち味かな……とそろそろ達観し始めている秋の日の夕べなのでした。

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