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夏のひこうき雲のsummercontrail(略して左近)が書いています。
更新の予定を変更してお送りします。insタグによる追記で少しだけ言葉を補いました。
「はてなアイデア - 嘘をつかない。」…本気で憤っているのか,それとも皮肉なのかはわかりませんが。「総選挙はてな」のために,定常のアイデアミーティング(と公開)を取りやめたのでしょう。それはそれで非常に残念ですが*1,中止告知が,参加者募集の予定時刻を過ぎていたのだとしたら…憤りなり皮肉なりが出て当然でしょう。何度も再発する不具合を押え切れない状態であっても,新サービスを立ち上げるためにミーティングを取りやめる,というのも,順番が違うように思います。現在のミーティング参加形式は,Skypeにせよチャットにせよ,会議時間帯にリアルタイムでPCネットワークにつながっている必要があります。業務外通信が比較的自由にできる職場など限られていますから,日勤の社会人が「参加したい」と思う場合は半年休を使うなどのけじめが必要です。…それを,予定時間を過ぎた後でソデにする,というのはひどすぎます。*
はてなアイデア - はてなアイデアミーティングがお休みの日は、10:10(参加受付開始時刻)より前に告知してほしい
171 hatena 『スタッフに連絡しました。』 (2005-08-05 09:54:30)*
(以上、強調は引用者が付した)
以前私ははてなブックマーク - finalventの日記 - はてな臭に、
[笑][social][hatena]はてなは狂った博士が早送りボタン押続けの実験場チバシティ。しかもネットの全てを取り込んでくわけですよ*
と書きましたが、それがだんだん冗談ではなくなってきた気がします。
以前、近藤社長がおっしゃっていた
運営側が安定していることがコミュニティにとっては重要です。それがコミュニティの雰囲気にも表れると思うのですが「日本人にはBlogより日記」、はてなの人気に迫る - CNET Japan
米国のBlogの特徴として挙げられるのはジャーナリストなどが情報の1次ソースを提供してメディアの役割を果たしていたり、万人に向けて発信している部分ではないでしょうか。
ただ、はてなダイアリーが求めているところとは違うと思っています。メディア的なサービスよりも、もっと身近な関係を豊かにするサービスを実現したい。「人は一人では生きられない」と思うので、その大きな命題を解決するほうが現実的だと思っています。
例えばはてなダイアリーでは、横浜と大阪で離れて暮らしている親子が、お互いの生活の日記を書いてコミュニケーションしているケースがあります。こういう日記はその人たちにとって、どんなメディアよりも価値のある情報を提供していると思います。その人にとって価値のある情報を1 to 1でマッチングすることで、今まであまり価値のある情報とはみなされていなかったものが、大きな価値を持つようになる。そうすることで、世の中全体の価値の総体が大きくなると考えています「日本人にはBlogより日記」、はてなの人気に迫る - CNET Japan
このような理念はどこに行ったのかと疑問を抱きます。
たとえば総選挙はてなという刺激的なシステムを導入してみたいという考えはわかりますが、ここは博士が早送りボタン押続けの実験場チバシティ
ではないわけです。ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』から正確に引用します。
”夜の街(ナイト・シティ)”は社会ダーウィン説の狂った実験に似ている。退屈しきった研究者が計画し、片手の親指で早送りボタンを押しっぱなしにしているようなものだ。ヤバいことをやめれば、跡形もなく沈むし、ちょっと早く動きすぎれば、闇マーケットの危うい表面張力を破ってしまう。どちらに転んでも消えるしかない。痕跡といっても、せいぜいラッツの様な舞台装置の心に、ぼんやりした思い出が残るだけだろう。ただし、心臓とか肺とか腎臓だけなら、新円(ニュー・エン)をかかえた誰かのために、クリニックのタンクに生き残るかもしれない。
ここでの商売(ビズ)は閾下の絶え間ない唸りだ。怠惰や不注意や世間知らずや、あるいは、複雑な掟の要求を無視することに対する罰は、当然、死だ。
このところ(私にはだんだんと新しい社員の方たちが加わってきてからに思えますが)、はてなのコミュニティを「実験場」として用いているように思えます。
インターネットの新しい未来を切り開こうというような熱意はわかるし、それ自体は悪いことではありません。
ただ、はてなユーザーは、インターネットの新しい未来を切り開くための手段として存在しているわけではありません。
名目程度の数十円をもらって他の人の質問に答えお互いにささやかな喜びを味わったり、
自分の身近な人や(まだお互いに存在は知らないけれどいるかもしれない)趣味の似た人に向けて、日々のちょっとしたことを書きつづっていたり、
好きなWebサイトがまだ更新されていないかどうか、便利に確認したり、
お気に入りの写真を一覧して眺めたり、
たまたま興味を持ったページを備忘のために記録しておいたり、
そういう用途に「はてな」を使っている人が大部分なわけです。普通に暮らしている人がトータルな生活の一部として便利に使っているだけのことです。
「チープ革命」*
による「知の世界の秩序」再編が「はてな」から起こるとしても、その主体は「株式会社はてな」ではなく、無名の無数のユーザーです。ユーザーたちが好き勝手にやりたいことをすることによって、結果的に変革が起こるだけのことで、スタッフが早送りボタンを押したからではありません。
チバ・シティ(別名ナイト・シティ)に住もうと思って、刹那的なスリルを求めて夜灯に蛾が集まるように寄ってきた人ばかりではありません。brave new world、すばらしい新世界実現のための貴い実験台になりたくて利用している人ばかりではありません。
はてなの公式のオフ会で「はてなダイアリーの歌」を歌うような、(後でからかわれるほど)アットホームで温かみのある雰囲気を持っていた頃のはてなと今のはてなは、印象がだいぶ変わっています。
当時から(あるいははてなダイアリーがベータだった頃から)利用しているユーザーたちは、自分たちの手でガイドをつくり、「教えてはてなダイアリー」と呼ばわる他のユーザーに答え、バグがあれば色々試してみて原因を探り、システムの向上のために色々提案し、「はてな」の運営に貢献なさってきました。
そうした努力は、もともとの
メディア的なサービスよりも、もっと身近な関係を豊かにするサービスを実現したい。「人は一人では生きられない」と思うので、その大きな命題を解決するほうが現実的だと思っています。
例えばはてなダイアリーでは、横浜と大阪で離れて暮らしている親子が、お互いの生活の日記を書いてコミュニケーションしているケースがあります。こういう日記はその人たちにとって、どんなメディアよりも価値のある情報を提供していると思います。その人にとって価値のある情報を1 to 1でマッチングすることで、今まであまり価値のある情報とはみなされていなかったものが、大きな価値を持つようになる。そうすることで、世の中全体の価値の総体が大きくなると考えています
といった近藤社長の考えに共鳴して、「善意で」「自発的に」行われてきたことです。
しかし、最近は不十分なままでの新サービス投入をくり返しつつ、従来のサービスの維持・充実・補修を顧みない姿勢が目立ちます。
はてなアイデア - アンテナや人力検索のように実質的なβ期を過ぎたと思われるサービスについては、きちんと運営できる会社に移譲する。
より、
はてな様には、安定期に入ったサービスもきちんと運営できる会社であって欲しい。私はそう思います。*
私もそう思います。当該「アイデア」ページの、その他のコメントもぜひご覧ください。
もう一度引用します。
痕跡といっても、せいぜいラッツの様な舞台装置の心に、ぼんやりした思い出が残るだけだろう。ただし、心臓とか肺とか腎臓だけなら、新円(ニュー・エン)をかかえた誰かのために、クリニックのタンクに生き残るかもしれない。
大きな貢献をしていたのにはてなから脱退された方もいます。その心臓とか肺とか腎臓
つまりはてなダイアリーテーマなど、それにぼんやりした思い出は残っていますが。
そうしたボランティア的な活動をなさっている貴重な方々には、夏の空のひこうき雲のようにぼんやりとした思い出として残るよりも、過大な負担を負わせずはてなに残ってもらった方が、はてな側としてもメリットが大きいのでは。
はてなには退屈しきった研究者
としてではなく、もっと縁の下の力持ちアトラスとして、システムを陰でしっかりと支えて欲しいと思います。現状ではそれが逆に、システムによって支えるべきユーザーのボランティアに依存している。依存することを前提としてシステムを運用しており、しかもそれが長期にわたっている。
ユーザーの善意に支えられた互助的なシステム運営であるということだけなら、それ自体は非難されるべきではありません。
しかし、はてなのシステムを他の人に支えさせておいて、はてな自身は退屈しきった研究者が
次々と新しいことを計画し、片手の親指で早送りボタンを押しっぱなしにしているような
状態に陥ってはいないでしょうか。
単に現状のサービスの維持や地味な改善といったどぶさらいの作業は退屈
なのでしょうか。
はてなは小所帯なのでリソースがシビアであり、新サービスの開発と従来のサービスの保守を同時に充実させることが難しいであろうことは理解できます。
ならば、いったんたとえば1ヶ月などと期間を区切って新サービス導入の模索を中断し、はてなアイデアで放置され続けている各種の提案や要望、不具合の修正に全力を注ぐ方がよいのでは。
下手すると、はてな自体が「ぼんやりした思い出」となり、その心臓とか肺とか腎臓だけ
が、新円(ニュー・エン)をかかえた誰かのために、クリニックのタンクに生き残るかもしれない
。
私たちには移転の自由があるわけですが、自分の「街」であるはてなには愛着があるだけに、まずは内部から改善しようと様々な人が(ときに強い怒気を含んで)声を上げています。
ただはてなは街ではなく地方自治体ではないので、自治システムは働かない。革命も起こらない。
だからさとい人は単に逃げ出すでしょうが、そうでない大多数の人はゾンビとなったはてなを使いながら、使い勝手が悪くバグが頻発する中でなんとなく不便と不満とを感じ続けるでしょう。次々と投入されるアイディアとシステムに踊らされながら。
そのような、はてなが社会の隠れた害として存在するような未来は、スタッフのうちのどなたも望んでいらっしゃらないと思います。
こんにちは!アイデアが尽きるのと、ボランティアたちが見切りをつけるのと、どちらが早いかでしょうね。という状況にスタッフは気づいていないようなので、ますますユーザー側のやりきれなさを増幅させているのではないかと。
>queueさん
>意見というよりは感想&連想でした。察していただき感謝です。
me too!