![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() |
|
![]() |
||
![]() |
void GraphicWizardsLair( void ); // そういえば日本は「自動改札機」みたいにアーキテクチャで解決しようとする愛すべき技術馬鹿文化があるなより。
「日本人はモラルの問題を、アーキテクチャーで解決して欲しがる」
B.M.F.Diary(2005-08-18)
なるほどこれも「空気」が好きな体質を現す現象かもしれない。
「空気を壊してまでモラルについて口うるさく言わなくて済むように、モラルを壊しにくい空気が出来上がるようなシステム/アーキテクチャを目指す」みたいな。(曲解)
そして、その一方で、実際にはアーキテクチャがまだできていないのに、既にモラルの問題が起こらない「空気」であると勘違いして、アーキテクチャを作ろうとする人間を「空気を壊す」と糾弾するようなことも同時に起こる。
法学では、数学のように、AゆえにBしたがってCである、といった具合に、読み手が首根っこを引っつかまれて、ずりずり引きずりまわされるような強烈な論理性といったものはあまりなく、むしろ両立しない二つの価値観や原理をいかに調整するかといった技術が求められるので、お互いを相対的にみる訓練は進む傾向があるように思います。
たゆたえど沈まず: モヒカン性の欠落
swan slab 氏によるコメント。
モヒカン族はそもそも「両立しない二つの価値観や原理をいかに調整するかといった技術」を持っていない、或いはそういうことに口出しするのに向かない/好まないので、そういう問題が話されているときであっても、確実に言える部分にだけ口を出したりします。そして、それに対して「空気を読めない」と述べる「異なる価値観をただ主張したい人たち」がいます。
モヒカン族による部分についての指摘(主張ではない)を一方の主張あるいは議論全体に対する否定的主張とみなす人が多くいるというだけです。
ところで、私からすれば相対化という言葉を多用する人はごまかしの話術を用いる人です。「絶対視しないこと」と「相対視」は異なります。文系の人はイコールにしたがるようですが。
【故事成語】では「ということにしたいのですね」というフレーズは、「根拠なく物事を断定している発言ないしレスへのツッコミ」でした。同様に、「(言葉を)選んでも選ばなくてもデマですね」というフレーズもまた、「根拠なく物事を断定している発言ないしレスへのツッコミ」でしょう。直線的に言えば「あなたの発言は偽である。」と、このような意味しか持たないのかも知れません。
hoshikuzu | star_dust の書斎
「(言葉を)選んでも選ばなくてもデマですね」については(状況も知らないので)判断を保留しますが、「ということにしたいのですね」については、そのまま読めば「あなたの発言は偽である。」とは言っていないと思います。
「ということにしたいのですね」は、それが思い込みか事実かに関係なく言えることなので。ま、それなら指摘する必要性がほぼ無いので、否定してるんだな、と捉える気分はわかるんですが。わずかにある必然性として、「それはあなたがそう思い込んでるだけかもしれないので、その可能性を考えたほうがいいよ」ということを伝えるという意義があります。
要は、まぁ別の言い方でも伝わるじゃないの、といった点もありますが、指摘された側としては、単に「そうですよ」と答えれば完璧な返答だと思うんですけどね。なぜムキになりたいのか。
「セクハラセクハラと男性たちを声高に非難する女性こそ迷惑だ」だとか「女性専用車両には反対」といった類のことをあえて主張する人は、例外なく、女性に対し性的な言動を行う頻度が平均的な男性よりも高い男性ばかりです。したがって、
「男性の怒り/性暴力への誘惑」は興味深いです。下手したら根底に同じものが流れているようにも見えますが(んなことしねぇよ!=んなことしてぇよ!)、言いすぎかな(汗)。「冗談」として流してください。
とchikiさんが書いていらっしゃるような内容の印象を、私は既に持ってしまっています(そうでない人もいるだろうことを頭では理解していますが)。
モヒカン族 - モヒカンダイアリー「アップル通信」 - 女性専用車両についての話題、補足します
いやぁ、正しい認識(確実にその傾向はある)と思います。それがプライドってもんですから。理性で押さえてきたはずのことを権力で押さえつけられたと感じて腹を立てている、みたいな。ちなみに、痴漢に対して激しく憤りを感じる(≒女性専用車両大賛成)男性だって、同じだったりします(んなことすんなよ!=んなことしてぇよ!)。他者を支配したい欲求は特に男性の場合かなり根源的な部分なので、実際には「んなことしてぇよ!」は大半の男性に当てはまってるわけで(*)。
ところで、私はちょっと違う部分に(も)バイアスがかかっています。id:queue:20050723:1122049581 に書いたような、「弱者のための制度が当たり前」という考え方に対する負の感情とでもいいましょうか。例えば「痴漢被害者を守るのは当たり前」というのは、もちろん本当の被害者を守るのは当たり前なんだけど、現実的なトレードオフを考えない主張もよく見かけるので懐疑的に見ます。そういう人ももしかしたら女性専用車両に感情的に反対しているのかもですね。制度自体にではなく、「あったりまえだろ」みたいな言い方をするいかにも「弱者権力の濫用」したそうな人に対して、というほうが正確か。つまり、制度自体に反対している人は実は少ないかもしれません。
「女性優遇の逆差別」も「こっちだって弱者として救って欲しいのに」という卑屈感ミエミエの言葉なのである意味同根かな。
(*)モヒカン的な考え方ではないですが、男性は他者の支配を欲する、女性は他者の施しを欲するってのは基本的に正しいと思います。かみ合うようでなかなかかみ合わないものですが。
ムラ社会の知恵とでも言ったほうがいいか。よくムラ社会の象徴的に言論が未熟な人間が挙げられる。知識不足/偏見/感情優先などにより、ツッコミどころ満載な主張や反応をする人とか。
モヒカン族はそういう人にシンプルに指摘する人であるが、ムラ社会は、見方を変えると、そういう人がいなくなることはありえないという真理に基づき、そういう人たちも包含した社会を認めて形成している。それが「空気」。
いわば、真ムラビトと似非ムラビトがいて、似非ムラビトが我が侭ってことね。
# もうちょっといい言い回しが欲しいけど-_-
そして、モヒカン族のような傾向に対して排除的な行動を取るのは似非ムラビトであって、ムラ社会に属してはいても真ムラビトには排除という考え方はない。
ムラ社会の真ムラビトたちは、世の生ける人を全て認めようとすることで、社会を保ってきた。モヒカン族も全て認めるのだが、誤りを正そうとする力の強さが異なる。そして、誤りを正そうとする力が強いことが一概に良いとは言えない。それがムラ社会の価値である。
無断リンクはさー、だからあれだろ。無断リンク禁止!!なんて威圧的に書くから「そもそもWWWと言うものは云々」とかモヒカントロプスな話になるわけでしょ? もっとさー「無断リンクする人、嫌いです」とか「I hate MUDAN-Link !! (無断リンクを憎む!!)」とか「あの世で俺に詫び続けろ無断リンクーーーーー!!」とか書けばいいんですよ。
公害都市の24時間
正しいと思います。
物理的にも法的にも禁止できないものに対して「禁止」と高圧的な態度で宣言していれば、余計な反感も買うでしょうね。せいぜいお願いしかできない。でも「お願い」だったにせよ、気持ちを無視する悪意には結局通用しないので、優しいモヒカン族は「無駄だよ」とアドバイスするんです。ただ、現在はモラルに訴えるやり方もまったく無駄ではないでしょうけれど。
また、id:queue:20050725:1122247011 にあるように、「禁止」と高圧的に宣言したいのだとしたら、このアドバイスもきっと無駄でしょう。でも、当人には無駄でもギャラリーには無駄ではなかったりします。
個人的には無断リンク禁止と謳っていたからといって、別に困ることもないです。http://d.hatena.ne.jp/maroyakasa/20050722 にコメントしたように、誤った情報を発信していてそれが反論なく受け入れられているような場所を発見したら無断リンク禁止に関係なく言及するかもしれませんが、そうでない場合はほっておきます。そうであったとしても影響力は大抵小さいですし。あるいは、当人がそれが原因で悪意を呼び込むような状況であった場合は個別にアドバイスすることはありますが、所詮自分には害の及ばないことです。
モヒカン族が指摘するとしたら上記二点のどちらかの観点ではないかと思います。「それが web というものだから」「全体にとって不幸だから」一辺倒なのはモヒカン族ではないだろうと思います。論理的じゃないし。あぁ、だから今まで言及する気にならなかったんだ…。
ちなみに id:queue:20050725:1122249987 にある「他者が誤解する」の観点は、「無断リンク禁止」が増殖することを懸念されていて、その意味を理解した上で使う分には otsune さん曰くの「差異を認める」ということになります。
「だから、web では多数の側面からの意見がきちんと見えることが重要であって、一方向からの意見の垂れ流しができるだけ排除される必要があるのだ」というのは、上に書いた「それが web というものだから」「全体にとって不幸だから」に当たるわけですが、所詮「できるだけ」だと思います。見つけた人に片っ端から言って回ることでもない。ただ、鵜呑みにする人が増殖するのは不幸だからそれを抑制する程度には啓蒙しよう、ということです。
この辺でこの話題について思ってることはだいたい吐き出したかな、と。啓蒙は機会があればするけど。
上の記事を submit したらはてなが InternalServerError を出した。IE だったが、「戻る」を実行しても編集画面に戻れず、エラー画面上で Ctrl+F5 しても相変わらず InternalServerError。(大抵の一時的障害はこれで書き込みを再実行すれば何とかなる)
こんなときに書いた記事を復元する方法。
IE だったので Fiddler (http://www.fiddlertool.com/fiddler/)を起動。その状態で再び Ctrl+F5 すれば POST データがプロキシに記録される。ここから書き込み内容を取り出して事なきを得た、と。ブラウザ閉じてたら完全消失でしたな。
私もこういうブログを書く人が無自覚な状態でゲーム脳を助長する発言をしていくんだろうな、とあきれてしまいました。
ここで採り上げられていた本(テレビゲーム解釈論序説)の著者や、心理学の分野でゲーム研究している坂元さんの本とかをこの人が読むと、
おそらく「悪影響論助長の本だ」とか「ゲーム脳助長の本だ」とか、全く逆の、間違った解釈をして騒いでしまうのでしょうね。
それを読む人たちが間違った解釈の影響を受けてしまうのが怖いです。
ブログって罪なメディアですね。