二酸化モヒカン倶楽部 (otsune) RSSフィード

2006-06-02

みんなで仲良くなって幸せになりたい」にも方法はたくさん有ると思う 「みんなで仲良くなって幸せになりたい」にも方法はたくさん有ると思う - 二酸化モヒカン倶楽部 (otsune) を含むブックマーク はてなブックマーク - 「みんなで仲良くなって幸せになりたい」にも方法はたくさん有ると思う - 二酸化モヒカン倶楽部 (otsune)

http://d.hatena.ne.jp/ice9/20060531#1149096466

ああ、そうか。ブログってみんなコミュニケーションしてるから、ぼくはみんなで仲良くなって幸せになりたいのかと思ったけど、そうじゃないコミュニケーション目的にしても許されるんだね。ぼくは子供で夢見がちで安っぽいヒューマニストで、中学校生徒会の書記みたいに甘えてるなあ。でも、だからといって、どっちが正しいってわけじゃないじゃーん。

という結論に私も多いに同意しました。

たぶんインターネットはかつて、論理的であることが正義であると言い得るところがあったと思う。ニュースグループとか、そうだった。でも、もう今のインターネットはずっと変わってしまって、それすら相対的な場所に置かれる時代になっちゃったと思う。

そこにおいてなお、どっちが正しいということをやり続けてみせるのは、一方的にゲームをやろうとする態度でしかないなとぼくは思う。お互いにあさってのほうを向いて叫び合ってるみたいで、むなしいなあ。それもコミュニケーションのひとつだと言うこともできるけど、それが正しいわけじゃない。

ある価値観からは「論理的なやり取り」が「むなしい」と見えるし「正しいわけじゃない」と見えるだろうというのは、まったく同意します。

論理的であることが正義で、その思想で占領すればみんな幸せなんだ。と考える極端な人が居ても良いし。

逆に、ムラ社会文化で占領すればみんな幸せなんだ。と考える人が居ても良いと思います。

私は個人的に、「オレは他人との差異を認めない。みんなオレ流になれ」という極端な思想の人も認めようと考えていたりしますが、それは人それぞれなので好きにすれば良いとは思います。

ただ、自分の思想について、メリットとデメリットを客観的に考えてみるというのは生活していく上での脆弱性が減るのでオススメだなぁとは思ったり。