地図の記述

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2005-07-14

[]修正

id:nisemono_san:20050711:p1id:nisemono_san:20050714:p3により、(1)と(1.1)は無関係といえるから、別のところに移動させないといけないな。2に融合させよう。

私の周りにいるからという理由で「仲間」ということはできない。なぜならば、個人は、「人」だから同じ意識を共有しているのではない。それは、「私」による視点の差異を隠蔽する。「私」が「あなた」になれない限り、「私」と「あなた」に差異があることを出発にして考えるべきであり、予め「人」だから、同じように考えているという視点は慎むべきである。と同時に我々にはどうしても「私」と「あなた」という違いが含まれているのであって、その吟味が先ず必要である。

また、3も修正しなければならないな。

他人との関係を「嫌っている、好んでいる」というので区別してはならない。「自分」には間違いが存在している。この間違いを認識するために、「他人」がいるのであり、例え、相手が私を嫌っていたとしても、この間違いを指摘してくれる以上、真摯に受け取らなくてはならない。そして、他人と自分が同時に納得できるような説明がされれば、それは違う立場からも、正しさが認められるということであり、「納得できる要因」が増加する。

で、この3にプラスして

同じ論証によっては「納得できる要因」が増大しているとは言えない。違う論証によって「納得できる要因」が増える。従って、違う論証を出来るだけ受け入れなければならない。

とする。

rir6rir62005/07/15 00:08>「自分がこれをしたい」と思えば、「倫理」が変更できることを受け入れる必要がある。

>(1-1)により、全ての事象に対して、「倫理」が変更できる状態を、「なんでもできる」状態とする。
多分ここに勘違いがあるんじゃないかなぁ。「『自分がこれをしたい』と思えば、『倫理』が変更できる」ということは、その対偶に「『自分がこれをしたい』と思わなければ、『倫理』が変更できない」ということです。ここにおいて、「倫理」は「自分」によって規制される。ですから「なんでもできる」訳では無いんです。

naohaqnaohaq2005/07/15 02:32「『自分がこれをしたい』と思えば『倫理』が変更できる」の待遇は「『倫理』が変更できないならば『自分がこれをしたい』と思っていない」ですね。「『自分がこれをしたい』と思わなければ『倫理』が変更できない」は「裏」です。

ElisabethElisabeth2007/06/16 08:32Beautiful site!

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