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2005-07-14

[]トシ社会と「信頼に足る」

id:nisemono_san:20050711#p1

周囲にいる人々は信頼が出来ない。というのは、相手はどのように考えているか解らないからだ。そして、相手はもしかしたら自分を騙す意図があるとも考えられる。従って、自分しか信用が出来ない。

自分しか信用できないというよりも、周囲の人々が「周囲にいる」だけでは、「納得できる要因」が導きだせない、と変えたほうがよさそうだ。

変えたほうがいい理由は

  1. 「自分」が自明化されてしまう恐れがある
  2. 「騙す意図」を持ち出した点で、ムラ社会の反転にしかなっていない

だとすると、

周囲にいる人々は、ただ周囲にいるだけでは信頼が出来ない。というのは、そこからは言説の正しさを証明してくれるようなものがないからだ。

と定義したほうがよさそうだ。そうすれば、

id:kanose:20050712:kougai

トシ社会の「周囲にいる人々は信頼が出来ない。(中略)従って、自分しか信用が出来ない」だと、誰も信頼できないことになっちゃう気が。考えてみると、「隣に住んでいる人より、行きつけのコンビニの店員のほうがまだ信頼できる(気がする)」とか、電車に乗る時は、「周囲にいる人々は信頼できないが、鉄道会社の職員は信頼できる」とか。で、この後者の「信頼できる」(気がする)人たちが信頼できなくなるとトシ社会は成立しないと。

というのが上手く説明できそうだ。電車に乗るときは、周囲の人々(親しい人々)よりも、電車会社の社員の言うことが信頼に足るのは、それを信頼するに足るような「納得できる要因」(例えば、電車会社の人は電車に詳しい、電車会社の人は嘘を付かない(というのは会社の業務に差し支えを来たす)…etc)が周囲の人々よりも、多いからだと。

rir6rir62005/07/15 00:08>「自分がこれをしたい」と思えば、「倫理」が変更できることを受け入れる必要がある。

>(1-1)により、全ての事象に対して、「倫理」が変更できる状態を、「なんでもできる」状態とする。
多分ここに勘違いがあるんじゃないかなぁ。「『自分がこれをしたい』と思えば、『倫理』が変更できる」ということは、その対偶に「『自分がこれをしたい』と思わなければ、『倫理』が変更できない」ということです。ここにおいて、「倫理」は「自分」によって規制される。ですから「なんでもできる」訳では無いんです。

naohaqnaohaq2005/07/15 02:32「『自分がこれをしたい』と思えば『倫理』が変更できる」の待遇は「『倫理』が変更できないならば『自分がこれをしたい』と思っていない」ですね。「『自分がこれをしたい』と思わなければ『倫理』が変更できない」は「裏」です。

ElisabethElisabeth2007/06/16 08:32Beautiful site!

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